小学校高学年(国民学校)

昭和十七年頃

戦況が日増しに悪化していく中で、私たちの生活も苦しくなってきました。

一番こたえたのは食料が少なくなって、すべての物が統制され生きていくのが精一杯。毎日が空腹で、わずかの食料でも奪い合う状態でした。クラス全員がやせ細って、かつてのバングラデッシュの子供たちと同じように見えました。

当時は何事も、兵隊さんが第一だったからです。学校に行っても授業があるわけでもなく、朝から農業動員(稲の種まき、田植、麦踏み、稲刈りなど)をして小学四年生くらいから作業の日々でした。

家族の柱となる人が戦争に召集されて女手一つの家庭の手伝いとしてでした。農作業で一番怖かったのは、山の中にある田んぼの田植えの時に毎日のようにヒルがくっついて取るのが大変で、夜になると取った後が赤く腫れ消毒する(赤チンをぬる)のでした。

衣類とか靴などすべて配給(少数)で、お金さえあれば現代の様に何でも買える時代ではありませんでしたので、冬でも夏服しかなくて寒い思いをしました。

戦争のためにみんなで我慢した時代でした。

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