大根洗い

私は、小学校4年生位より、家の手伝いをさせられました。兄や姉たちは中学校や女学校に入学して年生ぐらいになると東京の学校に転校して、家には私だけが残ることになり、家の手伝いは全部私の役になりました。兄と姉は東京の中学等に入学し、休みに帰ってきたときはいつも 楽しそうに学校生活を話しておりましたので羨ましく思っておりました。私が兄弟人の末っ子でしたので父も母も私を手放すことは考えていなかったようです。母は看護婦さんの食事の世話など(配給制でしたので)大変苦労しておりました。一番大変だったのは一年中の漬物を一度に漬け込むことでした。多くの大根を買ってきて、それを全部、礒に持って行ってきれいに洗い、大きい袋に入れて3日くらい家の下の海につけておいて、家に持ち帰り、大根を縦に二つに割り、四分の一にして棕櫚の葉を一本ずつ通して日干しするまでの仕事は小学5,6年生の私の仕事でした。それは1年分ですので数も多く、礒まで運んだり、また、海につけておくのに大根が流れていかないようにするためには大変な苦労でした。これも私1人の仕事で、兄や姉たちの東京での生活を考えてうらやましくてたまりませんでした。持ち帰った大根は棕櫚の葉半分を1本ずつ通して日干しておりました。1年分の漬物ですから量は多く、又、重いので仕事も大変でした。その後、大根は4斗樽4つに漬けこみました。家族と従業員全部の1年分ですから1年の内で一番きつい仕事でした。母も大変な思いをしておりました。文句の一つも言わず黙々と働いておりましたので、自分も母につられて文句の一つも言わず手伝っておりました。いつかは東京に行って、一度食べたことのあるアンミツを思い出して腹いっぱい食べたいと思っておりました。

※写真はイメージです

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