延中(延岡高校)に通うのに日豊本線を利用して通学しておりました。
その当時、すべての物が不足していて、履物は始めのうちはどうにかズックで通っておりましたが駅から学校まで3㎞以上ありましたので、履物も次第にアチコチ破れが目立つようになりました。しかし、物がすぐに買える時代ではありません。1年に2回くらい学年毎に配給がありましたが、1学年に数足ですからくじ引きをやっておりました。
くじの当選にはなかなか当たりません。
それで私は病院の隣の家のおじさんがわらじを作っておりましたので、お願いして、
ぞうりを自分で作るようになりました。まず、稲わらを水につけてそれを木で作った丸太棒でたたき、稲わらを柔らかくしてまず縄を作り、水につけて、それを元に、少し柔らかくなった稲わらでぞうりを作ることを教えていただき、一生懸命“わらじ”をつくりました。
通学時、みんなで日豊本線の列車の中をアッチコッチ歩き回っておりました。その“ぞうり”が途中で切れたりしますと車内を、切れた“ぞうり”を大事に手に持って歩き回ったことでした。今、考えると、大変なことをしていたものだと恥ずかしくなります。
それくらい、色々な物資が買えなくなる戦争は二度としてはなりません。
どうにか自分で作った“ぞうり”が人前で履いて歩けたものだと思っております。
※写真はイメージです