いよいよ終戦になり、毎日毎日の空爆もおさまり、穏やかな日々が戻ってきましたが、食料や日用品がなくて大変な時代でした。
学校は夏休みに入り、二学期は延中に戻りましたが、そのあと更に、英軍GHQの計らいで学区制になり延中から日向に戻って強制的に富島高校に通うことになりました。
当時、富島高校は農業学校で普通科はやっとできたばかりで、数学理科など一時は一年生から三年生を一緒に同じ教室で授業を受けたことです。授業の内容はすでに延中で受けたものでした。一番心配したのは、そのような授業で国立大学の医学部に合格できるだろうか?ということで。自分で勉強する以外にありませんでした。当時は本屋さんに行っても参考書などはほとんどない時代でしたから、兄や姉が大学受験の参考書を残しておいてくれたので大変助かりました。
また、この時代はなんでも配給制で食料もなく、大学を受験するのに配給されたお米をもっていかないとどこの旅館でも泊まることができませんでした。持って行ったお米が余ると宿賃から代金を差し引いてくれるような時代でもありました。私は九州大学と熊本大学を受験しましたが、熊本大学は京都大学ほど難しくありませんでした。熊本大学の受験前夜、延岡から言った先輩二人がたくさん焼き芋を買ってきてごちそうになり、それからトランプで夜遅くまで遊んだ記憶があります。自分としては受験が気になって仕方がなかったのですが、後から考えると試験前夜の心配をすっかり取り除いてくれてかえって良かったように思った次第です。
第一志望で九州大学を受験することになっていましたが、試験前日に虫垂炎の手術をすることになり、残念ながら九大の受験はできませんでしたが、そのあと、熊大に合格しました。
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